恋の軽い翼で、この塀は飛びこえました.With love’s light wings did o’eperch these walls.

「ロミオとジュリエット」第二幕第二場
モンターギュの息子ロミオは、仇敵の間柄であるキュピレット家の仮面舞踏会にはいりこみ、その娘ジュリエットとお互いに一目見て恋しあう。ロミオはいったん帰りかけたが、「心がここに残るのにどうして足が進もう」と思い、塀を乗り越えて庭園に身をひそめる。ジュリエットもロミオ恋しさに眠られず、バルコニーに出てくる。有名なバルコニー・シーンのはじまりである。そこでジュリエットが、庭の塀は高いのにどうやって乗り越えたのかと尋ねると、ロミオはこのように答える。

恋の軽い翼で、この塀は飛びこえました.

「恋の神キューピット」は、盲目で翼をもつ男児(boy god)なのです。だから「恋は盲目」であり、「恋の思いは天翔ける」のです。つまり、ロミオはその恋の翼を借りて塀を飛び越えた(o’eperch=fly over)というのです。

キューピットは「盲目」で「翼」があるからこそ、人は「恋」に落ちると、周りが見えなくなったりしながらも、どんな障害をも乗り越えてしまうのでしょう。

ヴェローナの「ジュリエットのバルコニー」

愛の大切さを否定する人はいないと思います。愛が人生にとって大変重要なことは、皆が承知してるのです。

将来、あなたがすばらしい異性に出会ったとします。一対一の付き合いがなくてもいいのです。こんな素晴らしい男性が、女性がいたのかという驚きから、「人間賛歌」の心がみなぎるでしょう。恋は、人を詩人にします。
と同時に、その異性に値しないおのれの卑小(ひしょう)さに気づき、それに値する人間になりたいという謙虚な願い、つまり、自己の浄化作用ー自分を清めたいという気持ちーが沸き上がってくるでしょう。それこそが、「真の恋愛感情」です。恋愛とは、人間の素晴らしい文化的な営みでもあるのです。
いつか、ふいにあなたの前に現れる、素晴らしいあなたの恋人。その恋人の素晴らしさを見分け、その素晴らしさにつりあう、豊な人間形成をこそ、いまのあなたはこころがけるべきだと、わたしは思います。

わたしは、もう恋なんてしないと思いますが、またどこかで素敵な人との出会いはあると思います。その人とつながるためにも、豊かな人間性(人徳・品性)と審美眼、そして正しい見識を育んでいきたいと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

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