【はじめに】
うちの家では、食事の時はテレビを消して、家族同士で話をしながら食事を取ります。その後のリラックスタイムの時は、みんなバラバラ。昭和時代のようにみんなが同じテレビを見ることはありません。
みんなスマホ(TVer)や任天堂switch、プレステ4、でそれぞれに楽しんでいます。テレビ番組は、ほとんど誰も見ていません。
そんな時、一人ひとりが違う価値観を持って、多様性に向かって「現代」は進んでいるんだなー。と感じます。
「テレビ」から「インターネット」へ。「同調圧力(みんな同じ)」から「多様性(個人主義)」へ。
そんな時、世の中は「多様性の社会」に移行しているのに「何でいじめってなくならないのかな」「いまだに何でいじめが起こるんだろう」と、ふと思う時があります。今日は、そのあたりを考察してみようと思います。
【「いじめ」はなぜ起こるか】
悪口を言ったもの同士は、何となく秘密を話して心が通じたようになり、二人だけの秘密を共有したように思い、何となく仲良くなった気がします。それが「集団」で悪口を共有していってしまうと、「仲間外れ」や「いじめ」へと発展する恐れが出てくるのです。
人間が集団になると、ライバル・仲間外れを作ることで、自分たちのグループの結束力を高めようとする作用が働きます。つまり、仲間外れを作ってより団結するのです。そうすると次第に、自分たちの集団を裏切れないようになってしまいます。
グループ内では、なんか知らんけど従わないといけない「謎ルール」が出てくるのです。男子なら、「先に帰る」と言うと、「あいつ仲間じゃない」と言われます。女子だと、同じグループでいつも行動を一緒にすることが「仲間」の条件になります。「謎ルール」とは、①年上がえらい②先に帰れない③プレゼントが必要④仲間外れを作る、などです。
なんで、こんな「謎ルール」が存在するのでしょうか。どうやら日本の、「世間」という考え方が鍵のようです。
外国では、「個人ー家族(愛情ルール)ー社会(法律ルール・自分とは関係ない人)」で、「世の中」が構成されています。だから、集団で結束して「いじめ」という問題は社会問題にはなっていません。
一方、日本では「個人ー家族ー世間(普通○○だよね!の謎ルール)ー社会」で「世の中」が構成されています。
ネット社会にも、いじめが存在します。ネット上での中傷・批判、テレビや週刊誌でも、ゴシップは無くならず、さらにヒートアップする傾向にあります。
どうやら日本には、農耕文化・封建的思想が根強く残っており、「個人」より「集団」を重んじるという文化・歴史があるようです。子供の頃から親が「世間体」という考えを用いて教育するから、自分の意見や主張よりも、いつの間にか、「世間体を気にする」「世間様に顔向けが出来ない」「みんなそうしているから」を優先させてしまうのです。そして、他人のわがままを断るのも、日本人は下手なよう。外国では、「もうこの人の意見を聞く必要がない」と思ったら、「もう結構」と笑顔で断ることが普通です。一方、日本では、「また回り回ってお世話になるかもしれないから」と、他人のわがままを聞いてしまうことがあります。
【おわりに】
今、高度情報化社会(テレビ→スマホ)となり、世間は壊れつつあるが、地震・コロナなどで不安になると、また「絆」「団結」「一つになる」というスローガンが吹聴され「世間」が強化されることがあります。
多様性、一人ひとりが違う価値観を持っていることが当たり前の世の中(社会)になるよう自分に出来ること考えてみましょう。
私が思いついたのは5つ。
①「同じ時間を過ごすこと」が大切ではなく、「一緒に何をするか、一緒に何を決めるか」が重要!
②誰かに相談するときは、悪口を言わず、冷静に批評する。
③自分の考えを大切にする。
④他人のわがままにつきあわず、笑顔で断る。
⑤経済的・精神的に自立する。
あなたはいかかがですか?
「世間」に縛られないために、何かしてみようと思うことはありますか?