3度目の入院、双極性障害なのかな?とりあえず休もう…

お疲れ様です。speckleです。

1月中旬あたりから、なんとなく疲れていました。年末年始は、ブログやツイッターで、また喜んでもらえる記事を書こうと、努力。1つのセミナーでも2記事書いて、本をいただいたらまた感想を書こう、ブログ100記事、インスタも200記事で見てくれる人も多くなってきたな、ガンバロウと思っていた矢先でした。今考えると、賞を目指してたくさん投稿していたので、必死だった。別の視点から書いたけど、結果がでなかったりして、少し落ち込んだりもしました。加えて、家事や子供のコロナ休校、子供の胃腸風邪の世話など、知らず知らず日頃の疲れが溜まり、買い物に行くのも億劫になっていきました。またパートの仕事もALSの患者さんを受け持ってもらうかもという話があったり、いろいろな負担や不安、今後の先行きに対する自信の無さとストレスが塵のように積もっていたのです。こんなので人生全うできるのか…と悩む日々でした。

1月後半も、朝散歩は欠かすことなく継続していましたが、慢性的な頭痛が気になり出し、疲れているなー。ヤバいなー。とはっきり感じていました。すでに下り坂に入っていたのです。

1月28日(金)は、病院受診。調子が悪いことを、先生に伝えると、抗うつ薬が増えました。睡眠薬は自分で様子をみますと伝え、やばくなったらすぐ受診しますと伝え帰宅しました。その日を境に、途端に家族と接するのすら不可能になるまで、精神がすり減ってしまいました。スマホでいうと充電2%まで、急減。瑞々しい感情はなくなり、すぐに破れる麻布、あるいは枯れたトウモロコシようなパサパサの感情になってしまいました。

帰宅後、次女の誕生日のケーキを作り何とか過ごしましたが、その晩、ついに眠りが悪くなりました。

土日は完全にアウトの状態で、散歩などで平静をよそおうのがやっとの状態。

1月31日月曜日は、もう限界と思い、精神科外来にSOSの電話をし、火曜日に受診・入院の相談をすることが決定。眠りも悪く焦燥感、希死念慮、集中・思考・意欲低下がひどく、何も手につかない。家事はおろか歩くのがやっとという感じでした。妻や子供にも、僕の精神状態を理解してもらうのは難しく、とにかく何も手につかないことを伝えるのが精一杯でした。

火曜日に受診し、先生と2時間弱の面談・相談。抗うつ薬ではなく、双極性障害のラツーダという薬が処方されました。父親が、双極性障害のことや、11月に、感想キャンペーン受賞(東京)で、一気にに調子があがりすぎ、自尊心が高まりすぎて、自分でも何となく反動がこわいなーと思ったり、今までも必ず調子の波があることを薄々気付いていたこと、例として何か資格取っては「崩れる」を繰り返すことを先生に相談したのです。

入院が決まり、一旦家に帰り入院準備をしました。3回目なので、ある程度は入院のイメージを持っているので、何とか着替え・洗面用具などをカバンに詰め込みました。そして父に病院まで送り届けてもらい3度目の入院生活が始まりました。入院後の生活については、また更新します。心配とご迷惑をかけてすみません。

それでは、お気をつけて。

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